なんというか、厳粛な雰囲気が流れている。 隣で泣いているのは、タカシの姉だろうか。その人のすすり泣きが、坊主が読むお経と調度いいリズムをとっていたので、僕は思わず吹き出しそうになったが、それをぐっとこらえた。 ここは葬式場である。今笑えば、回りから白い目で見られるのは確実だ。 それに、仮にもタカシの親友というポジションで葬儀に呼ばれた僕がここで笑ってしまっては、タカシの面目に関わる。そんなことは絶対したくなかった。 前を見る。遺影の中でさえ、能天気なちょっとアホっぽい笑顔を浮かべているタカシ。 そんなタカシが今、綺麗な花に囲まれて、高そうな棺に、硬直して収まっているかと思うと、またもや笑いがこみ上げてくる。 僕は薄情な人間だろうか?いや、そもそもあの間の抜けたタカシのために、こんな厳粛な葬儀を開く事自体が、間違いなのだ。 クスッと笑った僕の顔を、左隣りにいた、誰だか知らないおじさんが訝しげに睨め付ける。 なんだよ、おっさん。あんたにあいつの何が分かるってんだ。恨むなら、あいつの性格を恨んでくれよ。 僕は今、高校の帰り道、タカシと一緒に河原のあぜ道を通りながらよく喋っていたのを思い出していた。 ※ 「ケケケッ、 ボブサップ野郎だってよ、うふっうふぉふっゲホッゴホッホお」 笑いすぎてむせるタカシ。何がそんなに面白いのか、僕には全く分からない。 「俺は絶対、そのあだ名呼ばねえから。」 「なんでだよ!ククク、ヒッ、イヒヒヒヒヒ」 ボブサップ野郎、とは彼が今日名づけられたあだ名である。 理由はとても下らないものだ。 ちょっと前に行われた、ボブサップ対ノゲイラの試合でタカシはクラスメイトの梶浦と、賭けをした。 ボブサップとは当時、日本のタレントとして俄に人気の高まった巨体の黒人ファイターである。彼はよくテレビでリンゴを片手で握りつぶし、観客を驚かせていた。 「いやぁ〜余裕だろ!余裕余裕!ノゲなんとかも可哀想だな〜、頭をリンゴ見たいに勝ち割られるんだぜ!うっひょー!」 タカシである。彼は普段格闘技なんか全然見ないのに、アホなので見事にメディアの策略にのっけられて、ボブサップファンになっていた。 それを聞いて、黙っていないのが、校内でも無類の格闘好きで知られている梶浦である。 「てめぇ。なめてんの?格闘のかの字も知らねえガキがよっ。あんなデカイだけが取り柄の奴なんてな、ノゲの柔術にかかればあんなの赤子同然だね。」 「ぷふー!なにノゲってwwノゲってなんぞwよわそーwのげーwwのげええええwwwwwww」 ブチ切れる。かと思いきや、案外、梶浦は冷静だった。 「・・・。まぁ俺もボブサップとやらの試合をまともに見た訳じゃねぇし。お前がそこまで言うんなら、賭けるか?」 「おうよ!やってやらぁ!うはwwぼろもうけww」 「忘れんなよ、一万な。」 「おうっwwww」 周りがざわつく。おい、一万って、お前払えんの?僕はそういったけど、タカシは全く聞いていなかった。 向こうで梶浦がニヤリ、と笑う。僕も格闘技の事は詳しくないが、梶浦の今の様子からすると、ノゲイラ、というのは相当強いらしい。でなければ一万円なんてそうそう賭けない。 僕は、タカシは完全にハメられてるな、あーあ、と思った。(5/24) ※ 「おまえ、大丈夫なん?」 いつもの、川沿いにあるあぜ道で、ぼくはタカシに聞いた。 「え?なにがよ」 「賭けの事だよ。あいつ一万っていってたけど、いいの?」 「大丈夫、大丈夫w お前もしってるだろ?ザ・ビーストと呼ばれるサップのことをよ?」 「・・・」 僕はテレビで見たボブサップの事を思い出してみる。普通の人の2倍以上ある巨体、顔中にしわを寄せた恐ろしげな表情、そしてリンゴを砕いたり生肉を食べたりするあのパフォーマンス。 確かに見た目のインパクトは凄まじく、そこに憧れの気持ちを抱くのも無理はない。 しかし、実際の戦いで強いのと、普段の見た目が強そうなのとは別物な気がする。 それにあの格闘技狂いで有名な梶浦が言うのだ。僕はノゲイラとか言うのが勝つんだろうな、と思った。 それだけなら、まだいい。もし梶浦の言う通りになれば、タカシが一万円払うはめになる。 どうみても行き過ぎた賭けだった。普通の人間なら、もし賭けに負けても、なんだかんだ理由を付けて、なかった事にするだろう。 しかしタカシは、約束は必ず守る人間だ。ようするに馬鹿なのであるが、僕はタカシのそういう所が好きだった。 「でも、もし負けたらさ。一万円、梶浦に払えっていわれるぜ?あいつしつこいし。てか払うだろ、お前。」 「ま、約束だからな。でも一万貰うのは俺の方だぜ?なんてったってあのサップだ。負ける分けねえじゃん。」 「でも、今お前ん家さ・・・」 あー、と言ってタカシが遮る。一瞬だけ暗くなったタカシの顔を見て僕はそれ以上喋るのを止めた。 タカシの家の経済状況は逼迫していた。 数ヶ月前、父親が多大な借金を残して蒸発。残された母親は先月からパートを始め、姉も大学に通う傍ら、アルバイトで稼いだ金を家に入れるようになった。どうやらそのアルバイトというのは夜系の仕事らしい。 そしてタカシもちょっと前からアルバイトを始めていた。 「こんなときだからさ・・・。明るくいきたいんだよね。暗い話とか、そういうのなしな!」 笑顔で言うタカシを見て、僕は申し訳なく思った。 タカシは、ボブサップに希望の光を見ていたのかもしれない。 それは、ちょっと間抜けな話だ。でも僕は、タカシの事を笑わなかった。(5/25) ※ 葬式が終わると、親族が集まり、食事が始まるのだが、何故だか僕もその席に呼ばれた。 どうやら、ユリコさんから何か僕に用があるらしい。 「ごめんねぇ、お忙しいでしょうに、食事の席にまでお呼びしちゃって」 ユリコさんとは、タカシの姉である。まだ水商売のほうを続けているのだろうか。喪服の割にはえらく胸の開いた服を着ていて、豊満な胸が存在感を主張している。僕は目のやり場に困った。 ユリコさんと共に入った大きいお座敷には、並べられた長い机の上に寿司箱がいくつも並んでいて、さっきまで、静まり返っていた親族達は、今度はケラケラ笑いながらその寿司を食ったり、酒を飲んだりしている。 まぁ、こっちの方があいつの葬式らしいか。そう思いながら僕はさっそく用件を聞いた。 「ところで、用事があると伺ったんですが・・・」 「えぇ、そうなんだけどねぇ・・・。実はタカちゃん、死ぬ前にこんな物、残してたの。」 そういいながらタカシの姉が喪服のポケットから、古びた、白い封筒を取り出す。 そこには太い黒のマジックで、こう書かれていた ミスタースプリング・フィールドへ 「これ、最初誰かなって思ったんだけど、春庭(はるば)くんのことよねぇ?」 さっきまで泣いていた顔に、えくぼを作りながら、タカシの姉がそれを僕に差し出した。 たしかに、このセンスのないあだ名はタカシが勝手に僕につけたあだ名だった。 なにか偉そうな講釈をたれる時、タカシはいつもこの名で僕を呼んだ。 「ええ、そうですね。こんな物書くのは、あいつくらいしかいません。」 「やっぱり、そうよねぇ。遺言って訳じゃないみたいなんだけど、机のなかにしまってあったの。 だいぶ昔に書いたみたいだけど、ずっと大事にしまってたみたいで。ちょっと、中身あけてもらえ ないかしら。」 「え、今ですか?いいですけど」 僕は封筒の口に手をかける。そこは雑にセロテープで止められてあった。 「あの子ね、勝手に自分の物見られると、すごい怒るの。もういなくなっちゃったけど、その事思い出すと、開けられなくてねぇ。」 ユリコさんは悲しそうに笑う。へぇ、そんな所もあったんだ。あいつがそういう、つまらないことで怒るところはあまり見た事がなかったので意外だった。 ビリっと封筒を開ける。 逆さにしてみると、中から、ベージュ色の紙が数枚、ストンと落ちてきた。 「なんやぁそれ、お香典か?」 僕の隣にいたおっさんが覗き込んでくる。 封筒から出てきたのは10枚の1000円札だった。 「こんなもの。どうしてあの子・・・」 ユリコさんが首を傾げた。 まだ、何か入っていないかと思って、そこの方をトントン叩くと、白い大学ノートの切れ端に。何か書いた物が出てきた。 これ、返すぞ タカシの汚い字でそう書いてある。 一瞬考えた後、僕は思わず、クククと笑った。 「これ、間違いなく僕宛ですね。」 そういいながら、また、僕は昔の事を思い出していた。
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